南宗寺(なんしゅうじ)

拝観料:400円
TEL:072−232−1654

1557(弘治3)年、戦国武将の三好長慶によって建立される。大阪夏の陣でひとたびは焼失したが、沢庵和尚により再建された。
千利休が若い頃修行した寺で、境内における枯山水の庭(1983年に国の名勝指定)、利休遺愛の手水鉢、千家一門の供養塔、茶室実相庵などが見所である。
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仁徳御陵(にんとくごりょう)

日本最大規模を誇る前方後円墳。
大山古墳とも言われるが、正式名称は百舌耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)である。
仁徳天皇は5世紀の人物で、この古墳の造られた年代と一致することから持ち主と考えられるようになった。
堺市の一帯は百舌古墳群と呼ばれる大小様々の古墳が計46基も点在しており、特に大山古墳に代表されるような大型の前方後円墳が20基と多く見られる。このことから、この地域が古代大和(ヤマト)政権における一大中心地であったと考えられている。
現在は南側前方部と西側に遊歩道が設けられており、南側車道は桜並木になっている。
また西側歩道中央部には、犬養孝博士揮毫による仁徳天皇皇后の磐姫(いわのひめ)の万葉歌碑が建てられている。
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法道寺(ほうどうじ)

TEL:072−297−0705

670(天智天皇9)年の創建。空鉢(法道)仙人が開いたとされる高野山真言宗の寺院で、かつては長福寺といわれ49院の塔頭を有していた。
自然環境に恵まれ、向かいの公園墓地は桜の名所として名高い。
境内の食堂(じきどう)は鎌倉時代中期の建築で1960(昭和35)年に重要文化財に指定されている。僧侶が法会のさいに食事などを行った建物である。
同じく重要文化財指定を受けている多宝塔は南北朝時代中期の建築で、1階が和風、2階が唐風になっている。1902(明治35)年の指定である。
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妙国寺(みょうこくじ)・宝珠院(ほうじゅいん)

拝観料:300円(要予約)
TEL:072−233−0369

妙国寺は1562(永禄5)年の創建。
境内の大ソテツは現在大小120数本の幹枝を数え、江戸期の『和泉名所図会』には「大枝22本、小枝78本、総まわり25尺、高さ22尺余り、枝葉6〜7間は一面の蒼色ですいらんの如し」と記され、古くから堺の名木の一つとして知られている。かつて織田信長の所望で安土城に移植されたところ、毎晩「堺に帰りたい」と泣き声がすることを気味悪がられて元の場所に戻された…という伝説を持っており、大正13年に国指定の天然記念物に指定された。
この寺は、1868(明治元)年の堺事件における土佐11烈士切腹の地としても有名である。
森鴎外の小説『堺事件』などで有名な堺事件は、堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し、鳥羽伏見の戦以後に堺の警固にあたっていた土佐藩士がこれを阻止しようとしてフランス人22名を殺傷した事件。激しい抗議にあった明治政府は、犯人ら20名をフランス士官立ち会いの元妙国寺で切腹させたが、11名まできたところで切腹に慣れないフランス人の要望で中止されることになったという。
11名は妙国寺北隣の宝珠院境内に葬られたが、墓碑は土佐藩主山内豊範により建てられ、1938(昭和13)年に国の史跡に指定されている。なおフランス人水兵の亡骸は、神戸市旧居留地外人墓地に葬られている。
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